「市民派議員」という言葉が招きそうな誤解

※このエントリーは、“「市民」と「市民派議員」についての断章 – 保坂展人のどこどこ日記”へのトラックバック用に起こしたものです。先に元記事の保坂氏のブログをお読みください。

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市民運動出身の菅直人氏が民主党代表になって(つまり首相になって)、「市民」「市民派議員」というキーワードが取り上げられることが増えるだろうということで、この2つの言葉にどういう意味があるのかということを書いておられます。

そもそも私の中には政治家の皆さんが言う「市民」って何なんだって疑問がずっとありました。それに対する言葉として「権力」とか「利権」って言葉があって、要するに「お金も政治的な権力もない人」のことを一まとめにした呼称=市民なのかな?と漠然と思っていました。そして、保坂氏のこのエントリーによれば、おおむね間違っていなかったのだと理解しました。

利権や既得権益を持たない者の総称、として市民を定義することはいいとしても、それに照応する呼称である「市民派議員」を、議員やあるいは選挙時の候補者が名乗ることには疑問を感じます。

「市民」にとってその名称は、あたかも「自分達の味方」になってくれるように思わせるラベリングです。でも実際には、特定の利権や既得権益を持たない者同士の中にも、格差と両立できない利害対立があります。保坂氏のエントリーの中でも、「子ども手当て子供手当てって、私ら老人は切り捨てか、年金減らされて外出もできない仲間が出てきている」と怒る老女の話が紹介されています。

あちらを立てればこちらが立たない。そういう状況で「市民派議員」を名乗るのは、相容れない利害関係を持つ両者に同時に「私はあなたの味方です」というメッセージを送り、意図的に有権者を欺いているように思えるのです。

歴史的な経緯として、「族議員」「世襲議員」のアンチとしての「市民派議員」というカテゴリーが存在するのは分かります。でも、自らの政治的立場を表す時に、そのような文脈を理解してないと正しく伝わらない、自分の票数を増やす方向に有利な誤解を招く言葉をそのまま使うのはやっぱり詐欺なんじゃないかと思うのです。

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久しぶりに単行本が出ます。

国立情報学研究所(NII)の創立10周年記念本です。上田純美礼さん野々下裕子さんと3人の共著です。3人の名前を合わせてペンネームまで作っちゃいました。

情報を力に未来価値を創る―グローバルな知の梁山泊 国立情報学研究所
朝純 裕(あさずみ ゆう)

序章 情報学の梁山泊を目指して
(所長 坂内正夫)
第1章 礎としての数学から理論計算機科学へ
(情報学プリンシプル研究系教授 河原林健一)
第2章 数学から教育のICT展開へ
(社会共有知研究センター長、教授 新井紀子)
第3章 本からネットまで、キーワード検索を超える連想検索
(連想情報学研究開発センター長、教授 高野明彦)
第4章 永遠の難問--映像から意味を引き出す
(コンテンツ科学研究系教授 佐藤真一)
第5章 アジアから世界へ、質の高いソフトウェアを発信する
(アーキテクチャ科学系教授 胡振江)
第6章 プログラミングの発想から現実世界を見る
(アーキテクチャ科学研究系教授 佐藤一郎)
第7章 量子情報処理を日本の科学技術戦略の柱に
(情報学プリンシプル研究系教授 山本喜久)

研究の内容だけでなく、先生の人となりが分かるような本にしてください、というリクエストをいただいて書きました。私は序章・第4章・第7章の執筆を担当しています。

機会があれば読んでみてくださいね。

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勝どきの路地

空気は夏休み、なんだけど。

お昼時の人待ちの間に、前から気になっていた路地の写真を撮ってきましたよ。

冷やし中華が食べたくて歩きまわったけど、まだ始まってませんでした。
暑かったけど、夏はまだしばらくおあずけみたいです。
短い昼休みなのに、暑いの苦手なのにつきあってくれてありがとね。

他の写真はこちら。RICOH Caplio R5で撮影→PCのTiltShiftGeneratorで加工してます。
Xperiaにも対応してくれんかのう…OSが2.1になってAIR対応したら使えるようになるといいなあ。

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人の気持ちになることと人の気持ちを理解すること

裁判員制度が発足から1年経過したそうで、さまざまな新聞やウェブでこの1年を振り返った記事が出ています。こちらの記事によると、裁判員経験者の97%が、やって良かった、と思ったそうです。そして感想として「事件はひとごとでないと思った」と言う人が多いようです。身近に、似たような犯罪の被害にあった人を思い浮かべてたという人も。

でも、はたしてそれはいいことなのでしょうか。

他人の痛みについて考える時によく言われるのが、「自分がその立場だったらどう感じるか想像してみよう」ということだったりします。でもそれは裏返せば、「その立場になりえないことは想像もつかない」ということにつながったり、「その立場になりえないことは大きな勘違いをしたまま事態を悪くする」ことだったりもします。

例えば、男性による性犯罪の被害者になった女性の気持ちが男性に分かるかっていったら、多分分かんないと思うですよ。セックスに対してその女性がそれまでどういう体験をしてどういう思いをしてきたか、そして加害者の男性とその女性の関係性によって、感じる恐怖の種類も心の傷の痛みも深さも種類も全く違う。

だからといってそれを分かるように説明しろというのはもっとひどい話で、裁判員制度を嫌って告訴をためらう女性が出てくるというのは、説明することで他人に知られたり噂を立てられるの嫌だというプライバシーの問題だという言われ方をするけれど、思い出すことそのものが嫌だという理由もあるのです。そんな問題を軽々しく「他人ごとではない」なんて言うのはさらに被害者を傷つけることにしかならないと思うのです。

何か問題を考える時に自分のことに引き寄せて考える、自分にも起こりえることだから他人事ではなく自分の問題として取り組む、というメソッドは、一見効果的に見えますが、同じ落とし穴を抱えているように思います。

他人の気持ちになることと、他人の気持ちを理解することは違うのです。

自分の問題ではない他者の問題を、他者の問題として置いたままで、真剣に見つめて、考えることができるようになりたいです。

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旧古河庭園のバラ

DSC_0172

バルカロール(ゴンドラの舟歌)という品種だそうですよ。

5月の始めに行った時にはまだ全然咲いていなかったのに、昨日行ったら既に開きすぎ感が。
バラまつりは6月20日までですが、お早めにどうぞ。

[blog]旧古河庭園のバラ
春・秋のバラの見頃のお知らせ、バラの紹介など。花の名前をこちらで調べました。

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